目標を達成しても虚しい|次の目標だけでは埋まらないもの
長く取り組んでいた仕事が、ようやく終わった。
気になっていた数字も届いた。周りから、お疲れさまという言葉ももらった。
その日は、確かにうれしかった。
でも、しばらくすると、手元が空いたような気がしてくる。
次は何を目指そうか。もう少し大きな仕事だろうか。別の資格を取るのもよいかもしれない。
やりたかったことが終わったのに、何かを始めないと落ち着かない。
そんなとき、目標の大きさや、自分の欲深さだけを考えなくてもいい。
大切なものと関わる方法が、いつも「達成して、終わらせる」ことになっていないだろうか。
達成するたびに、次の目標が必要になる
目標があると、頑張りやすい。
試験の日が決まっているから勉強する。必要な金額が見えているから、少しずつお金を残す。
そこに意味がないわけではない。できなかったことができるようになるのは、うれしい。
ただ、目標には、達成すると終わるという性質がある。
その資格を取るための勉強は、合格すれば一区切りになる。あの役職を目指す時間も、就任したあとは同じ形では続かない。
目標に向かうことが毎日を支えていたなら、終わったあとに、少し空白ができるのも不思議ではない。
喜びが続かないからといって、努力が間違っていたわけではないだろう。
一つの大切な時間が、終わったのだと思う。
目標は、自分を支えてもくれていた
だからといって、これからは目標にとらわれずに暮らそうと言われると、少し困る。
あの目標があったから、つらい時期を乗り切れた。できることが増えたし、誰かと力を合わせる経験もできた。
努力した分が形になることは、自信にもなっていた。
目標を手放すことが、それまでの自分を否定するように感じられることもあるだろう。
それに、何も目指さなくなったら、自分は止まってしまうのではないかという怖さもある。
周りが進んでいるように見える中で、一人だけ立ち止まるのは落ち着かない。
そんな自分に、目標は要らないと説得しなくてもいい。
これまで自分を支えてくれたものは、これからも持っていてよい。ただ、それだけに毎日の意味を全部任せると、区切りのたびに行き場を失いやすくなる。
目標を大事にすることと、目標のない時間を持つことは、どちらかを選ぶ話ではないのだと思う。
終わることを目指さない楽しみもある
近所を散歩する。
買い物に行く途中で歩くこともあれば、歩きたいから外へ出る日もある。
同じ道でも、後者には、着いたら達成という場所がない。
音楽を聴くことも、人と話すことも似ている。
一曲は終わる。会話にも、帰る時間が来る。
でも、「これで音楽を聴くことを達成した」とは思わないだろう。友人に会うのも、もう会わなくて済むようにするためではない。
今日はここまでにする。また話したくなったら、話す。
区切りはあっても、それによって楽しみそのものが完了するわけではない。
暮らしには、そんな関わり方もある。
役に立たないことを、わざわざ探す必要はない。
同じ読書でも、試験に必要なところを覚える読み方と、文章をたどること自体が面白い読み方がある。一冊を読む中で、その両方が混ざっていてもよい。
一つの時間を、目的があるか、ないかできれいに分けなくてもいいのだろう。
ただ、終わったあとに何が残るかだけでなく、そこにいるあいだに、何を受け取っているかも見てみたい。
好きなことまで、終わらせる対象になっている

休日に読みたい本を並べていたら、少し気が重くなった。
今月中に三冊。積んだままの本も、そろそろ片づけたい。
読みたいと思って買ったはずなのに、いつの間にか、読まなければならない本になっている。
人に会うことにも、似たところがある。
連絡できていない人の一覧を考える。会ったら一つ済んだ気になる。話の途中でも、次の予定が気になる。
数えることで、助かることはある。約束を忘れずに済むし、時間の見通しも立つ。
ただ、終えた数だけを見ていると、その中にいた時間を、あまり覚えていないことがある。
本を読んで何を考えたか。あの人が、どんな顔で話していたか。
予定を管理しながらでも、その時間の中に、もう少しいられないだろうか。
例えば、読んだ冊数が少なかった月にも、繰り返し読み返した一節がある。
誰かと会って、特に新しい話を聞けなかった日にも、同じことでまた笑った時間がある。
進んだ分を数えにくいからといって、何も起きていないわけではない。
でも、そこで「心が豊かになった」「関係が深まった」という別の成果を、必ず見つけなくてもいい。
何かに言い換えて評価し直さなくても、そのとき話したかったから話した。それでも十分なことがある。
今の仕事にも、終わらせるだけではない部分がある
仕事には、期限も成果も必要だ。
気の向くままに過ごせばよいとはいかないし、終わらない仕事を増やすのも困る。
それでも、一つの仕事の中に、成果とは別に大切にしていることがあるかもしれない。
後輩の話を聞く。難しいことを、相手に伝わる言葉で説明する。道具を、使いやすい状態に戻す。
用事を済ませるために必要なことでもあり、その関わり自体に、手応えを感じることもある。
成果が出る前にも、出たあとにも、そうした時間はある。
だから、どんな仕事でも楽しみを見つけようという話にはしたくない。
忙しさや負担が大きすぎれば、目の前のことに心を向ける余裕もなくなる。環境や仕事量を変える必要がある場合もある。
ただ、今の仕事の何が好きだったかを考えるとき、役職や達成した数字だけでなく、日々の関わり方も思い出してみたい。
次の働き方に残したいものが、その中にあるかもしれない。
役職が変わっても、人の話を聞くことは続けられる。担当を離れても、経験したことを誰かに伝える機会はあるだろう。
今と同じ成果を上げ続けなくても、大切にしてきた関わりまで、全部なくなるとは限らない。
働く量を減らすとき、自分の価値まで小さくなるように感じることがある。それでも、量や肩書きから少し離れて、自分が何をしている時間を好んでいたかを見直すことはできる。
目標の先に、また目標だけを置かなくていい
資産が一定の額になったら、働く時間を減らしたい。
その目標は、暮らしの選択肢を増やしてくれる。
一方で、到達したあとに、また少し上の金額を置きたくなることもあるだろう。
備えを見直す必要がある場合もある。それでも、「まだ足りない」だけが続くなら、何のためにその余裕を求めていたかを、時おり確かめたい。
ゆっくり夕食をつくること。明るいうちに歩くこと。好きな人と、急がずに話すこと。
それらは、目標に届いたら自動的に始まるとは限らない。
事情の許す範囲で、今から少し触れておくこともできる。
大きな目標を持ちながら、達成しなくても過ごしてよい時間もある。
その両方があれば、人生の楽しみを、次の節目まで預け続けなくて済むのかもしれない。
目標を達成したあと、すぐ次の目標が見つからない時期もあるだろう。
その間を、失速した期間と呼ばなくてもいい。
大きな計画はないけれど、今夜の食事は少し楽しみだ。週末には、いつもの人と話す予定がある。
それらだけで、すべての空しさがなくなるわけではない。それでも、次に目指すものが決まるまで、暮らし全体を保留にする必要はない。
何かを達成する自分と、今日を過ごす自分の両方に、場所を残しておきたい。
また、明日の夕食がある
夕食の支度をしながら、鍋の中を少し味見する。
いつもより薄かったので、味を足す。もう一度、確かめる。
食べ終えたら、また片づけがある。明日になれば、何を食べようかと考える。
終わったはずの用事が、また来るのは面倒だと思う日もある。
でも、ときどき、その繰り返しの中に、好きな時間がある。
野菜を切る音。火を止める前の匂い。ちょうどよい味になったときの、少しうれしい気持ち。
何年続けても、夕食づくりを達成する日は来ないだろう。
今日は、この味で食べることにした。
