年々、時間が経つのが早い|一日を埋めるほど、人生を味わえるのか
カレンダーをめくって、少し驚く。
もう、この月なのか。
ついこの前、年が明けた気がする。先月も何かと忙しかった。仕事もしたし、用事も済ませた。
でも、どんな日があったかと聞かれると、すぐには出てこない。
何もしていなかったわけではない。それなのに、自分が過ごした時間が、手元にあまり残っていない感じがする。
時間が早いなら、もっと大切に使わなければ。
そう思って、空いている日に予定を足す。その前に、大切に使うとは、何をすることなのか、少し考えてみたい。
空白を見ると、埋めたくなる
手帳に予定が並んでいると、充実した月に見える。
仕事、買い物、人と会う約束。時間が余れば、行きたかった場所も入れたくなる。
予定を立てることは、楽しみでもある。何もしないより、会える人に会いたい。行けるうちに行っておきたい。
その気持ちを、無理に抑える必要はない。
ただ、空いている日を見るたびに、無駄になる時間を見つけたように焦るなら、少し立ち止まってもよい。
余白は、何も起きないことが決まった日ではない。その朝の体調や、ふと思ったことに合わせて使える日でもある。
先に埋めることで選べる楽しみもあれば、埋めないことで残る選び方もある。
予定が入っていることだけを、時間を大切にした証拠にしなくてよい。
手帳に書けない過ごし方が、暮らしの中にはずいぶんあるからだ。
その時間に、何をしていたのだろう
人と食事をしているのに、次の予定を考えている。
散歩しながら、歩数を見ている。音楽をかけたまま、届いた連絡に返事をしている。
体はそこにあっても、気持ちは少し先にいる。
もちろん、いつも目の前のことだけに集中できるわけではない。考え事をしながら歩く楽しさもある。
ただ、何をしていても次を気にしていると、今していることが、通り道になってしまう。
食事を終えれば、連絡を返せる。用事が済めば、次へ行ける。今日が終われば、週末になる。
その先に着いても、また次の用事がある。
一日の中で、何度も時計を見る。時間をよく管理していたのに、その時間に何を感じたかは、あまり覚えていない。
自分の時間を使うことと、自分がその時間にいることには、少し違いがあるのだと思う。
新しいことを増やせば、よいのだろうか
毎日が同じだから、時間が早く感じるのだろう。そう考えて、新しい体験を探したくなる。
知らない町へ行く。初めてのことを習う。いつもとは違う人に会う。
それで気持ちが動く日もある。ただ、新しいものに触れることまで、時間を長く感じるための課題になると、また忙しくなる。
今月は新しいことを三つした。来月は、もっと記憶に残ることをしよう。
その数を増やし続けるだけでは、以前の予定表とあまり変わらない。
一方で、いつもの道にも、初めて気づくことがある。
店の窓が開いている。植え込みの葉が、先週より濃くなっている。夕方になると、この角からよい匂いがする。
珍しい出来事ではない。誰かに報告するほどでもない。
でも、今日、自分が見たものではある。
新しい場所へ行くことだけでなく、知っている場所に、少し違う目を向ける過ごし方もある。
記録に残らない日は、消えてしまうのか
写真を見返すと、何をした日か思い出せる。
日記や手帳に助けられることもある。忙しい時期に、どんなことを考えていたか知る手がかりになる。
ただ、記録していない時間まで、なくなった時間にしなくてよい。
毎回の夕食を覚えていなくても、その食事で暮らしてきた。何度も繰り返した会話が、関係を支えていたこともある。
特別な出来事は、思い出の形にまとまりやすい。一方で、普通の日は、はっきりした名前を持たないまま重なっていく。
その全部を、後から取り出せるように保存し続けるのは難しい。
思い出せる量だけで、過ごした時間の価値まで測らなくていい。
写真を撮っていなくても、よい風だった。日記に書かなくても、あのとき笑った。
残さなければと急いで画面を開く前に、今日はしばらく、そのまま見ていてもよい。
もちろん、写真を撮りたい日は撮る。記録も楽しみのひとつだ。ただ、今日を本当にあった日にするための、提出物ではない。
全部できないことを、予定の組み方だけで解決しない
読みたい本がある。会いたい人もいる。行ってみたい町も、いつか挑戦したいこともある。
限りがあると意識すると、急いで全部を始めたくなる。
でも、一日に入る量が増えても、望みのすべてに届くとは限らない。知るものが増えれば、やりたいことも増えるからだ。
何かを選ぶと、その時間には、ほかのことをしないことになる。
その寂しさまで、段取りを工夫すればなくなるとは言えない。
今日、友人と会えば、本は読み終わらない。ゆっくり料理をすれば、遠くへは出かけられない。
どれかが無駄なのではなく、どれも少し欲しいのだと思う。
できなかったことが残った日を、時間管理に失敗した日と呼ばなくてよい。限りのある一日で、何かを選んだ結果でもある。
今日を十分に生きることと、今日できることを全部終えることは、同じではない。
使える時間をもっと増やす前に、選んだ一つの時間を、次の用事のために急がせすぎていないか見てみたい。
待つ時間にも、自分は暮らしている
電車を待つ。お湯が沸くのを待つ。相手の返事を待つ。
短い空白ができると、すぐ何かを入れたくなる。
連絡を一つ返せる。記事を少し読める。残りの用事を確認できる。
そうした工夫で助かる日もある。忙しい生活の中では、小さな時間が大切なのもわかる。
ただ、すべての隙間を使い切ると、何も求められていない短い時間まで、なくなってしまう。
電車が来るまで、ただホームに立つ。お湯を待ちながら、窓を見る。
それで気持ちが整わなくてもよい。よい考えが浮かばなくてもいい。
待っている時間も、次の何かが始まる前の、空の箱ではない。
その時間に聞こえた音があり、少し疲れた自分がいて、季節の空気がある。
何かを取り出さなくても、そこで今日を過ごしている。
時間を早く感じる自分まで、責めなくていい
ここまで読んで、もっと丁寧に暮らさなければと思ったなら、その課題は増やさずにおきたい。
忙しい時期は、毎日があっという間に過ぎる。大変だった日のことを、細かく覚えていない場合もある。
だから、時間を無駄にしたと決まるわけではない。
仕事を回し、食事を用意し、誰かの用事に付き添っていた。日々を支えることに、実際に時間を使っていた。
自分の時間を取り戻すなら、その負担を少し分ける相談が必要なこともある。心がけだけで、余裕が生まれるわけではない。
いつも丁寧に感じ取る人になろうとしなくてもよい。
たまに、時計ではなく窓の外を見る。話の途中で、相手が何を言ったかもう一度聞く。食べ終わる前に、今日の味を少し確かめる。
そのくらいの短い戻り方もある。
終わりのある時間を、脅しにしない
人生は一度きりだと言われると、何か大きなことをしなければと焦る。
でも、限りがあるからこそ、全部を特別な日にしようとしなくてもよいのだと思う。
今、一緒に食べたい人がいる。今日は、疲れたから早く眠りたい。そうした望みも、同じ限りある時間の使い道だ。
残り時間を思うたびに自分を急かすより、今日、急がせなくてもよいことを一つ見つける。その受け止め方もあってよい。
何かを逃した気持ちが残っていても、選んだ一日に戻れる。できなかったことの一覧を、今日の自分のそばに、いつまでも広げておかなくてよい。
カレンダーには、書かなかったこと
帰り道、少し雨が降った。
急ぐほどではなかったので、店の軒先で立ち止まる。雨が地面を打つ音が、思ったよりよく聞こえた。
しばらくして、小降りになった。
何分いたのかは、見ていない。その分の用事が進んだわけでもない。
家に帰ったら、いつものことをする。今日も、すぐ夜になると思う。
でも、帰り道で、少し雨を待っていた。
カレンダーには書かなかったけれど、そういう時間が、今日にはあった。
